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【D&D】08:恩寵

* * *
 舞踏場よりやや広い、楕円形の部屋。天井は高く、丸く、スティリッチの風物と思しきさまざまな地方と山と森と湖とが描かれ。窓は大きく明るく、窓枠から燭台にかけての彫刻も大変に手の込んだ作品となっております。壁際にいくつか見える小さな机や家具も、ごく自然にあしらわれてはいますが、その装飾や取っ手はおそらく金や銀、あるいは稀少なダークウッドの古木で作られているのに違いありません。床。磨かれた大理石が幾何学的に敷き詰められ、一部分を見ても全体を見渡しても、それぞれが蔦を思わせるモザイクに仕上げてありました。

 一週間前はさぞすばらしい眺めであったであろう……と思います。

 今、この謁見の間と思しき部屋の中央を占めているのは、異形の粘体。そして、それが滴らせる、腐臭を伴う汚らしい沼色の粘液が、部屋の半分以上の床を濡らしていました。


 部屋の中央でのたうつもの。

 巨大な蟲を思わせる、緑と黒の縞々な筋をくねらせるゼラチン。
 体躯のあちこちに食虫植物を思わせる顎ががちがちと咬み鳴らされ、
 薄濁った魚の目玉のような眼球がいくつも浮かんでは沈み、を繰り返しています。


「うえぇ」

 クロエが呻きました。私も、つい鼻を摘まんでしまいそうです。……ひどい臭いでした。

「うむ、ジュイブレクス!奈落(アビス)のデーモンロードが黒幕だったか!」
「なあなあサンダース、それより手前のあれ……なんだ?」


 そして、その“のたうつもの”ジュイブレクスと私たちの間に漂う、2フィートほどの黒い球。胸ほどの高さを、ゆっくりと滑るように移動しています。


「……わからん。だが強烈な魔力を感じる。用心しろ」
「きゃらの!おにいちゃんが知らないって、それだけでヤバい気配!」

「うっく、とりあえず《加速(ヘイスト)》!ってああ?!」

 巻物から《加速(ヘイスト)》呪文を展開したジョンが、スーの視界からみえたそれに驚きの声を上げました。

「見ろ!スライムの中に人影だ!!」
「……女性?」
「きゃらの!思い出した、イスティヴァンの王様は女だよっ!!」
「レスビン女侯か!!」


 レスビン・ドレン・エモンダヴ女侯爵。スティリッチを治める、褐色の肌を持つ有能なソーサレスのはず。魔鬼(デーモン)に取り込まれずに、まだ耐えているのですね?!


「生き死にはわからん、だが見捨てる法もないな!いくぞ!!」
衰弱光線(レイ・オヴ・エンフィーブルメント)》で牽制をし、黒球を迂回して右手に回りこむサンダース、追随するバッシュ。

「白熊招来!!いけ熊っち!」


 そして、クロエの招来した白熊が、音も立てずに近づいた黒球に触れた瞬間、


 消滅しました。


「……そうか!!あれは『虚無の球(スフィアー・オヴ・アナイアレイション)』!!」


 愕然とするサンダース。……あの彼が、サンダースほどの傑物が青ざめて……い、いったい、あの球はなんなのですか?

「複数の外方次元界に、無作為に掘り抜かれた次元門の一種だ! 触れたが最後、消えてなくなり《復活(リザレクション)》もできんぞ!下がれ!!」
「バッシュ!」


 火鉢から巨大な火の精を召喚し、バッシュの後退を援護するジョン。まったく本能的にか、一番近くのコンボイに掴みかかる“のたうつもの”ジュイブレクスを、コンボイが巧みな手さばきで凌ぎます。


「うがーっ、対抗手段が思いつかねぇ!下がれ下がれ、撤退だ!!」

* * *
 そうして、また《転移(テレポート)》。出発して、10分と経っていません。


「ど、どうしたのですか?」
「最悪だ。敵は奈落(アビス)のデーモンロード、“のたうつもの”ジュイブレクス……の化身だぜ」

 ひぃ、と言う小さな悲鳴が上がります。


「――あっあー、それでも尖兵のマリリスは始末してきたし、邪神の化身なら一度倒したことがある」

 避難民の間に走る動揺を抑えようとか、ジョンが努めて明るく自慢しました。


 窓の外、遠くで、何かが爆発する光と音とが聞こえてきます。カラスを数十倍醜くしたような、しゃがれた鳴き声と怒声、大量の翼が羽撃く音も。


「ヴロック三匹よってたかっての《滅びの舞い》か。広域破壊にはもってこいの能力だが……うむ」
「外ぁヴロック共がわんさか、夕暮れ時のムクドリみたいに大量にいやがるぜ。なあ兄弟、本当に大丈夫か?」


 鎧戸から外を窺っていた若旦那が、私たちに向き直ってそう尋ねました。

「マリリス退治に随分消耗しちまってなあ。だがジュイブレクスはどんなに強いといっても只の粘体だ、積極的になにかを進めたりはしない」
「うーん……たしかに、魔鬼(デーモン)共は暴れるだけ暴れちゃいるが、建物の中までは押し入ってこないんだ」


 ああやって街区そのものを吹き飛ばしているのは面白半分の節がある、が――あの辺は兵舎がある辺りだなぁ、と若旦那。

「連中が何を企んでいるのか、皆目見当もつかん。そして、俺たちは待てばいいのか、逃げたほうがいいのか?」
「すでに脱出を試みたグループもあるようです」


 とヨハンさん。噂ですが、騎士団が一番大きな避難所から市民を連れて外を目指したと。

「ヴロックに襲われ、散り散りになったそうですが」
「とりあえず、明日の午前中まで時間をくれないか。ジュイブレクスを倒して、街を開放する」


 きっぱりと言い切ったジョン=ディーの態度に、避難所のみんなも大きくどよめきました。避難所の張り詰めていた空気さえ、若干和らいだような気がします。流石マーシャル、士気の維持に関しては専門家ですね。


* * *
「――とは言ったものの」

 部屋の隅でコンボイを壁にして、対策を練ろう。避難所のみんなに無用の心配を掛けたくないから。

 とジョンが言うので、昼食後、そのようにしたのですが、その彼をして開口一番。


「情報が足りない。サンダース、あの『虚無の球(スフィアー・オヴ・アナイアレイション)』ってのはいったいなんなんだ」
「うむ、あれは極めて強力な魔法具――アーティファクトの一種だ。触れたものを“どこか”に消してしまう。生物・無生物を問わず、だ。失われたものを取り戻す手段は――神のみぞ知る、と言うところだな」


 ……ようやく『死』を克服する奇跡にまで手が届いたというのに、《復活(リザレクション)》できない攻撃手段が敵に回るとは! 世界とは全く、残酷です。


「……対抗手段はないのかな」
「まず《呪払(ディスペル)》は効かない。《モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)》でさえ破壊は不可能だという」
「げっ」


 《モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)》。最高位の大魔道師が辛うじて使いこなせる、禁呪中の禁呪じゃないですか。


「もともとモノではない、次元の“穴”なんだ。――あぁ、うむ、一つだけ破壊できる可能性があるな」
『どんなん?』
「《次元門(ゲート)》だ。同じ次元の穴同士、ぶつけ合えば……いや、それでも五分五分か」
「……例の蝋燭が準備できれば、まあ不可能な案でもない」
「ですが勝率五割では――危険すぎます」


「きゃらの!あれはどうやって動かすの?」

「お? うむ、説明していなかったか。純粋に“意志”の力で動かすのだ。並大抵のことではないが……我々でも五回に一回は動かせるだろうな」
「失敗するとどうなるんですか?」

 吸い込まれるとか?


「うむ、意志の存在に反応する魔法具なので、失敗したものの方へ近づくと思ってくれ」
「じゃあジュイブレクスが操作をしくじるのを待つか」


「……中の人影、見捨てるわけにいかないだろ」
「だよなぁー……ああ、なんで俺こんなに善良なんだろ」
「クロエはべつに善人じゃないけど、おにいちゃんたちががっかりするのは嫌だ」


「となれば、方法はひとつ。球からジュイブレクスを引き離し、その隙に倒す」
「きゃらの!シンプルがいい!」


「であれば、我々も少しばかり準備が必要だな……ふむ、ジョン。頼みがある」
「なんだ?」

「お前のハートを俺にくれ」


 ……!?

「きゃーっ、きゃらのっ!!おにいちゃんどいてそいつころ」
「は、は、はぁ?」
「ん? ああ、言葉がたりないか。スペルシーフの技を試してみようと思うので、お前の《大地の心(ハート・オヴ・アース)》を俺にくれ」
「最初からそう言え!!わざとだろう、ワザとなんだろう?!!」

「アルウェン司祭には《呪文抵抗分析(アセイ・スペル・レジスタンス)》の提供をお願いしたいのです」
「喜んで」
「畜生、わざとだ!絶対ワザとだ!!!」
『えーっと……さんだーすの“こい”ってやつ?』
「……故意?」
『そうそう、それそれー』
「ぎにゃー!!!!!」


* * *
 イスティヴァン、3日目。

「もう耐えられん」「脱出するものは手を上げてくれ!」「やめて」「もうだめだ、みんなお終いだ」「彼らを信じよう」「だが逃げ帰ってきたじゃないか」


 朝、戦いの準備より先に、しなければならないことができました。……説得です。

「だぁっ、静かに!静かに!まずは落ち着いてくれ――そして俺たちの計画を聞いてくれ。その後どうするかは、勝手に決めたらいい」
「……外の空気は異常だ。正の次元界の影響で、カビの繁殖がハンパじゃない。中には、胞子を吸い込むだけで死んでしまうような、猛毒を持つカビだってある」

「ヴロックだっています。大人数で動けばそれだけ見つかりやすいんです」


「約束しよう。俺たちはこれから1時間後に、もう一度王城に突入する。そして、30分でデーモンロード、“のたうつもの”ジュイブレクスを退治して見せよう。昨日も言ったが、邪神の退治は初めてじゃない。俺たちは“アローナ急行(フリート・ランナーズ・オヴ・アローナ)”、ティアマトを退治した神速の刃だ!!」


 再びの(好意的な)どよめき。むむむ、これがマーシャルの鼓舞というやつですね?

「……そこまで言うなら……」「なんの見返りもなしに助けに来てくれたあんたがたを……もう少しだけ信じよう」「食料だってあんなに気前良く」


 ? ああ、そうか。食べるものがないのです、そういえば。保存食ですら腐って落ちる正の次元界のエネルギーのために、この街ではいま食料が大幅に不足していたのでした。


「すみません、気がつかなくて……あの、10分待ってもらえますか」

* * *
 アローナへの祈りを捧げ、先週の解の日に焼いた胡桃入りの固焼きパンを聖別し……これを半分に千切り、一番近くにいた婦人に渡しました。

「さあ、食べてください。他の方も、どうぞ」


 千切って、他の人にも渡し、また千切って、次の方に。千切っても千切っても、パンは一向に減りません。


「水もありますよ。水袋から、皆さんに行き渡るだけ、十分に。はい、どうぞ。保存用だったので、すこし固いですよ」
「――ああ、《食料と水の創造(クリエイト・フード・アンド・ウォーター)》!ちゃんと使ってる司祭を、初めて見たかもしんない!!!」
「こんな状況、ないですもんね普通。……はい、まだまだありますよ」


 五千人を満腹にしたという聖なる御業には及ぶべくもないですが、ここにいる皆さんが一日空腹を覚えないくらいにはパンと水とを作り出せるはずです。――おおアローナよ、願わくば明日は、みんなが無事にここから解放されますように。今日、私たちに悪を討つ力が宿りますように。

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